「半沢直樹」がウケた理由を深掘りしよう

半沢直樹」が終わってしまいましたね。

主役の半沢直樹を演じる、堺雅人さんはじめ、役者さんの魂を存分に感じるドラマで、
私も大いに半沢ワールドを堪能しました。

個人的には、歌舞伎役者の皆さんの顔芸や濃い演技が、
よかったですね。

続編もありそうな終わり方のようにも思いましたので、
期待したいところです。




さて、巷では、「半沢ロス」なる言葉も出てきていますね。

なぜ、そこまで「半沢直樹」は人々を惹きつけるのでしょうか?

これについて、ビジネス書を書きたいという人なら、
考えてもらいたいところです。

多くのサラリーマンの心をつかんだということは、
その心をつかんだ要因を掴めば、
ビジネス書を書くときに応用できるでしょう。




その問いに対して、至る所でこんなことが言われています。

日本人は「水戸黄門」しかり、勧善懲悪ものを好む傾向にあり、
半沢直樹」は現代の「水戸黄門」なる立ち位置を得た、と。

たしかに、終盤の逆転劇は圧巻ですし、
観終わったあとに多くの人がカタルシスを感じるのも納得です。




ただ、ここで忘れてはならないのは、
その「カタルシスを得た根源は何か?」ということです。

勧善懲悪の物語なら、「半沢直樹」だけではなく、
平成・令和の時代でも多く出ていますよね。

勧善懲悪ものなら全て人気が出るわけではありません。

人気が出るものと、出ないものでは、何処が違うのか?

この観点を持たず、「勧善懲悪ものだからウケた」と、
簡単に結論づけてしまうのは、
本当にもったいないです。

より深く考えてみてください。




私は、他の多くの勧善懲悪ものと分けるのは、
序盤にサラリーマンの悲哀を色濃く感じるところもあると思っています。

例えば、前作の第一話目で、
会社の命令で進めていたプロジェクトで、
大きな損失が生まれてしまい、
責任をとらされるようになったシーンがあります。

もちろん、あなたをプロジェクトリーダーとして任命した、
上司の責任もありますが、
プロジェクトリーダーとしての実務面で不備があったあなたの責任も、
問われるでしょう。

ドラマ演出として、誇張されている面もありますが、
サラリーマンならば、会社の命令に従い遂行していくのは、
当然の姿勢です。

その辺りにサラリーマンの悲哀を感じ得ません。




私は以前、ビジネス書を書く上で、
読者さんの共感を喚起するようにしようとお話ししました。

半沢直樹」の序盤ストーリーは、
そのいいお手本になると思っています。

それでは、また!