「こだわり」の領域を減らしていくという教訓

10代の時、私は他の人とは一味違う、
個性的な男になりたいと思っていました。

同時に、そこには周りの人に「あいつはすごいよね」と、
認められる男という条件がついています。

イロモノ扱いではなく、あくまで違いがわかる男。
これこそが最高にかっこいいと思っていました。


高校時代(1993〜1995年)に流行っていた、
小室ファミリーミスチルなどの音楽を敬遠し、
一昔前に流行ったグループの曲とか、わかりもしない洋楽を聴いたりして、
「この違いがわかるかね」と無言でクラスメートに投げかけていました。

皆、気づいていないかもしれませんが。

一言で言えば、かなり痛いティーネイジャー、通称・イタネイジャーというやつです。
・・・今日の東京、寒かったですね・・・

そんなイタネイジャーが板についた、
変に自信のあった学生時代ですが、
自分で排他的な雰囲気を出していたにもかかわらず、
何としても人に認めてもらいたいと、
一方でコンプレックスも抱いていました。

もしかしたら、「違いがわかる男」と称して、
コンプレックスを紛らわせていたのかもしれませんね。

10代の時は、そんな葛藤の時代でした。


さて、前振りが長いのは、通常運転です。
本題に入りましょう。

私は28歳の時にいろいろな転機を迎えることができました。

転機を呼び起こせたのは、
今まで大事だと思っていた「こだわり」の領域を減らせたからに、他なりません。
結果も表れて、自分はできるじゃんと少しずつ自信を持つようになったのです。

同時に、今までの自分は芸術家のように、
自分の理想に1ミリもずれない自分でいたいと思っていただけなんだな、
と感じました。

もちろん、努力をしてそれを目指す完璧主義であればいいのですが、
私は基本的には行動しない男でしたので、
もう最初から言動の不一致で論理は崩壊しています^^;

変なこだわりのあった、身だしなみを変えた。
流行っている音楽を聴くようになった。
流行っている本を嗜むようになった。

などなど、そうすることで、
急に世界が開けてきたような感じを受けたのです。


以来、何かうまく行っていないことがあるとしたら、
変なこだわりに囚われていないか、
これをチェックするようにしています。

私の場合、変なこだわりを捨てられたから、
自分が正しいとは思わなくなり、人の話も聞けるようになりました。
著者さんや上司の提案に「それ、いいですね」と受け入れることもできました。

いや、正しく言うと、人の意見を聞くことにより、
価値観や考え方が広がったと言ったほうが、いいかもしれません。


もし、結果が出ていなかったり、停滞気味だと感じたら、
脱ぎ捨てるべき変なこだわりがないか、考えてみましょう。

もちろん、あなたの生き方を決める「こだわり」の核なる部分は、
捨ててはいけない財産です。

何が不要で、何が大事なものなのか。
それを見極めるために、日々、自問自答していくことが重要になりそうですよね。


私は、28歳の時に転機になったと言いましたが、
その後、何度か自信を失いかけたことがありました。

努力をしても報われず、こんなに勉強しているのに何でなんだろうと、
苦しい時期も迎えましたが、
そこでもある「こだわり」を捨てることで、また前進できたのです。


最後に、自分の目標にロケットで向かっているとイメージしてください。
燃焼を終えたロケットは切り離されていきますよね?
あのイメージです。

あくまであなたは、ロケットで目標に向かっています。
本当に大事な「こだわり」だけは残していくという気概で、
お互い頑張っていけたらと思います。

それでは、また!